旅行について
日本一の放射能で知られる山梨県「増富温泉」まで夫婦2人で行ってきた。『幽玄漫玉日記』の3巻(文庫版2巻)で、鬱病の治療のためプロザックを飲んだところ精神の機微を失い、まんがが描けなくなった桜玉吉が湯治のために訪れた地であります『この世でいちばんキレイなもの』の巻)。
『幽玄漫玉日記』文庫版2巻87ページ(写真は自分で撮ったもの。以下同)
2021年3月の下旬のとある日、桜咲き乱れる韮崎駅からバスに乗って1時間と少しで増富温泉郷に到着。道端にはまだ少し雪が残っていた。歓楽街はおろか、コンビニの1つも存在しないガチの湯治場である。べつに湯治をするような体調ではなかったが、ちょい長めの休みをゲットできたので3泊の宿を取ることにした。
温泉の入り口がこんな感じで、奥までずっとこういう密度
今回、我々が(そして玉吉先生も)泊まった「不老閣」は天然ラジウム岩風呂がウリの旅館。本来なら「旅館部」のほかに長期湯治客向けであろう「自炊部」もあるらしいのだが、昨今は旅館部のみの営業とのこと。近くにスーパーもコンビニも無いこの温泉郷で、クルマすら持ってない我々が自炊できるとは思えないが。
石がでっけ~いい川。『幽玄漫玉日記』文庫版2巻89ページ
ラジウム温泉と桜玉吉について
初日は都留観光などをしていたおかげで夕方の到着になり、岩風呂は閉まっていたのでまず内湯に入ることにする。
ここの源泉は低温なので、まず上がり湯で体を温めてからラジウム泉にじっくり(15分~30分ほど)浸かることが推奨されている。それはもうみんな、じっくりと言う言葉では表せないくらいじっくり浸かっている。中には微動だにせず、30分まるまる低温の湯に鼻の下まで浸かりきっている人もいる。できるだけ長く体を放射能にさらしたいという気持ち、わりとよく理解できる。にごり湯で浴槽内はまったく見えないため、『サウスパーク』だったら湯から上がった時に手足が7本くらい増えているんだろうなと思いつつ、自分も体力の限界まで世界最強のアルファー線に身をゆだねる。
不老閣公式サイトより。左側が上がり湯。右がラジウム泉
飲泉も可能なのでガブガブ飲む。あとサウナではアチアチの石の上に源泉をブッ掛けることもできるので大変楽しい。全身、内から外から放射能パワーまみれになっているのを感じる(感じているだけ説)。
宿の食事は大変おいしい。マジうめえ。ちょっとした一工夫っぷりが「料理まんがに出てくるベテラン調理人」精神に溢れていて感心する。
夜はな~~~んもすることがないのでウマ娘を育てたり、持ってきた積読本を読んだりして過ごす。今回の旅のきっかけとなった『幽玄漫玉日記』も持ってきていた。
桜玉吉、「当の世代」しか知らない漫画家の筆頭のような気がする。かなりの漫画好きでも10代、20代の知名度はあまり無いのではないか。ファミコン通信の全盛期を読んでいたガキどもはみな桜玉吉のエッセイ漫画に親しみ、ゲーム、パソコン、釣り、バイク、旅行、会社経営、株、鬱といった大人のホビーの楽しさを無意識のうちに刷り込まれていたと思う。その証拠に、現在ウェブで活躍している30代前後の男性エッセイ漫画家は、みな仮面を付けているか黄色い顔の自画像をしている(サンプル数・約2)。
岩風呂について
一夜明けた朝、名物の天然岩風呂に向かうことにする。なにせ天然なので山の中にあり、宿からは少々歩かなければならない。
ねこ。
景色を楽しむ心のよゆうを持とう。
着きまんた。
片道でだいたい10分くらいかかる。普通にハイキングコース並の勾配がある。晴れの日ならともかく、雨や雪で足元がぬかるんでいる時期だと辿り着くだけで一苦労だと思う。
ちなみに岩風呂に行く時はロビーに一声掛けてから向かうことになっている。途中でなんかあったらアレだろうしね。岩風呂のカギは最初に向かう客に手渡され、最後に出る客が持って帰ることになっている。自分が帰る時に、山道で岩風呂に向かう客とすれ違った場合はその人にカギを渡す仕組みだ。
『幽玄漫玉日記』文庫版2巻93ページ
岩風呂に入ると、漫画で見慣れていた不思議な空間が目の前にそのまんまで現れたのでちょっと感動してしまった(許可を取ったうえで自分以外の入浴客がいないうちに撮った写真です。念のため)。建物はホント山小屋といった感じで、脱衣所の石油ストーブがなんとなく懐かしい。
ここの源泉は内湯の放射泉よりもさらに温度が低く20℃以下くらい。上がり湯でじゅうぶん温まってから体を拭き、やや離れた場所の岩風呂でラジウムパワーを補給する。上がり湯のすぐ側にはかけ湯専用の「アトム風呂」と、飲泉用の「不老閣冷泉」があるのだが後者は使用停止中だった。コロナのあれこれの影響だと思うが、奥さんが他の客に聞いた話では「飲泉に浸かったバカタレがいたせい」だという。本当かどうかはわからない(マナーを窘めるために客の間で自然と生まれた都市伝説的なウワサかも知れぬ)。
増富温泉のラジウム泉はにごり湯なのだが、滞在中の岩風呂はみごとに透き通っていた。他の入浴客は「何度もここに来ているがこんなに透明なのは初めて」と不思議がっていたが理由は不明。
ちなみにここの岩風呂は時間で男女別に分かれているが、混浴の時間帯もある。ただその時間帯はだいたい男性しか入らないとのこと。
増富温泉について
さっき書いた通り増富温泉にはコンビニ等は無いが、旅館以外の施設ももちろんある。宿で文庫本を読んで風呂に浸かってアルコール水溶液を摂取しているだけでもアレなので、昼間は散歩がてらいろいろと足を延ばした。歩いて行ける距離に「増富の湯」という日帰り温泉があるので、ここでも一っ風呂浴びてきた。
ここは25℃、30℃、35℃、37℃の源泉が用意されており、好みの温度で心行くまでラジウムを沁み込ませることができる。宿でも思ったが、ホントここの滞在客は湯舟にじ~~っと浸かっている時間が長い。もちろん自分のそれに倣う。不思議と飽きない。ずっと身を任せていられる。不老閣ではなぜかひげ剃りが調達できなかったので、ここで購入した。増富温泉バス停そばの商店にも立ち寄ってみたが、ここも土産物やスナック類ばかりで日用品はほぼ置いていなかったので…。
昼食ならバス停近くの店「むらまつ」のうどんがバチクソに美味い。近所にあったら普通に通うレベル。最近はうどんと言えば讃岐うどんばかり食べていた気がするので、ツヤのある麺と出汁の風味豊かなつゆが新鮮であった。鶏天丼も油臭さ皆無で実質ゼロカロリー。
あとは地酒を置いた酒屋などがあればよかったのだがそれらしき店は1軒しか無く、空いている様子がなかったので諦めて宿でストゼロなどを飲んだくれていた。なにか土産を、とも思ったがどうも気の利いたものは見つからなかった。まあこの辺は韮崎で探したほうがいい気もする。
まとめについて
そういう感じで湯に浸かり、就寝し、宿で朝食を食べ、岩風呂まで歩き、散歩をし、外で昼食を食べ、宿に戻り、内湯に浸かり、文庫本を読み、夕食を取り、もう一度風呂に入り、就寝し、起きたら帰る日が来た。この旅行中に読み終えたのは筒井康隆『邪眼鳥』と異形コレクション『ダーク・ロマンス』の2冊だけであった。
朝食のラジウム玉子
冷泉メインの温泉が初めてだったこともあり、新鮮な体験も相まって非常に満足できる滞在だった。ただ、自炊部が営業していない今現在、我々のように自家用車を持っていない客の場合は長くても3泊程度という気がする。コインランドリーの類がないのと、あとやはり細々とした日用品が必要になったりするので長期滞在するならクルマは必須だろう。
『幽玄』の「『この世で一番キレイなもの』の巻」は、驚くほどドラマが無い回である。増富温泉を訪れた玉吉先生が温泉に入り、源泉を飲んでゲリをし、早川義夫のCDを聞いているうちに日が暮れたという話が描かれているだけで、ラストは岩風呂で勃起するシーンで終わっている。
水風呂ほど冷たくはないラジウム泉に浸かっていると、己の体表と湯との境目が曖昧になってくる。それが20分30分と続くと、ただ湯の流れる音を耳にしながらぼんやりと思索にふけることができる。時間の流れが早いのか遅いのか、世間に取り残されているのか置いていっているのか、充実しているのか浪費しているのか。何もわからない。今思い返しても、日常とは異なる時系列で過ごせた数日間だったと思う。よき体験でした。
『幽玄漫玉日記』文庫版2巻98ページ